読書日記【016】つかず離れず
砂浜に海の家の骨組みが。雲間から朝日が顔を出すと、渚を散歩していた人びとは蜘蛛の子を散らすように消えた。
***
言葉の意外な組み合わせが、思わぬ詩情を喚起することがある。言葉の組み合わせの妙について考えるとき、私は俳句の世界をまず思い浮かべる。
***
ある俳人は、「抱く孫の 瞳のうるみ」という五・七・五のあとに「鯉のぼり」と下七をつけた素人の句に対して、「鯉のぼりではせいぜい五年の人だな。私なら”山法師”とします」と答えたという。
「孫」と「鯉のぼり」では、関係が近すぎる。絶妙に離れた山野の木の「山法師」を持ってくるには三十年かかると。つかず離れずの言葉をどう結びつけるかが腕の見せ所らしい。
〈以上、後藤明生『挟み撃ち』奥泉光&いとうせいこうの解説より〉
***
この「つかず離れず」という感覚が素人には難しい。
統計上、言葉の組み合わせが使われる確率を計算すれば、言葉同士の距離を数値化できる。「つかず離れず」の塩梅が数値で定量化できれば、機械学習によって名句の量産が可能になるかもしれない。
……などと考えていたら、文章生成モデル「GPT-2」を利用したAI俳句なるものがすでに開発されていた。
精度の高い句より、精度の低い句の方が言葉の組み合わせに(人間ではなかなか思いつかない)意外性があって面白いと思うが、どうだろうか。
***
ぐずる赤ん坊をあやしているとき、「僕には時間がない」「君には時間がある」「僕には時間がない」「君には時間がある」…と陽気にくり返す歌がイヤホンから流れてきた。坂本慎太郎の「君には時間がある」。
2022/06/05(日)