読者日記【019】古典作品の魅力

夜中、窓を開けて外の空気を吸う。雨、しっとりとした夜気。金魚鉢からあぶくのはじける音がする。

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作品の選定基準のひとつは、作者が文学の決定的な力、ほとんど魔術的な力を信じていることだと述べ、十九歳のナボコフを、ロシア革命のさなか、弾丸の音にも気を散らされることなく書きつづけたナボコフを思い出すように言った。銃声が響き、窓から流血の戦闘が見えても、彼は独り詩を書きつづけた。

ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』白水社より

古典作品の魅力の一つに、古今東西の「ファン」による考察や二次創作の豊かな蓄積がある。手を伸せば、自分一人では想像も及ばなかった視点の作品解釈や感想などが楽しめる。一粒で何度も美味しいのが、あらゆるジャンルで”古典”や”クラシック”と呼ばれる作品の良さではないだろうか。

流行の面白いドラマや映画を視聴したあと、ファンによる考察ブログや感想・レビュー記事をWEBで読み漁るのは楽しい。同じ感覚で古典作品に関する研究論文や影響を受けたとされる後続作品(*)に目を通す。

(*)例えばツルゲーネフの『猟人日記』に影響を受けた国木田独歩の『武蔵野』は、『猟人日記』の”二次創作”としても読める。独歩がロシアの白樺の森と武蔵野の楢の林の情景を比較したように、原典と二次創作の共通点/相違点の整理が、原典の魅力の再発見につながることもしばしば。

生まれた時代/地域にへだたりのある作品ほど難解に感じることも多いが、それらはつまり考察しがいのある作品ということでもある。考察しがいのある作品ほど、他の「ファン」たちの考察がますます興味深いものになる。

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イスラーム革命後のイランで、ヴェール着用を強要された学生たちが、なぜ倒錯的な中年男が少女を陵辱する物語に熱中したのか。

 

本を通じて、実際に会って話すことの難しい「ファン」たちの興味深い感想を知ることができる。それも、ナボコフの作品が20世紀英米文学/ロシア文学の古典として認知されていなければ叶わなかったかもしれない。

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地元の神社でホタルの放流があったらしい。見に行きたかった。

2022/06/11(土)