読書日記【020】ドア・ストップのように

暮合いの海辺で、小さな双子がぴょんぴょん飛び跳ねているのを見る。波が押し寄せてくるたびに飛び上がり、キャッキャと歓声を上げる。それを飽きずにくり返している。日が落ちるまで。

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幸福は時を引き伸ばす。毎日が一遍の長編小説のように長く感じられた。毎晩が二本立ての映画だった。毎週が一生に等しかった。静かな一生。いつも彼女の胸の下にドア・ストップのように無理矢理押し込められている悲しみが、その効力をなくすような一生。

イーディス・パールマン「石」(『蜜のように甘く』収録、亜紀書房)より

「これまでの人生で、母親を早くに亡くした以上に悲しいことはなかったよ」と教えてくれた方がいた。当時の私は誰かを亡くした経験もないし、それに匹敵するような悲しい経験の覚えもなかったので、その話は他人事のように聞き流した。

「ドア・ストップのように」という表現が素敵だなと思う。ドア・ストップを取り付けたドアを(そうとは知らずに)押したときの、ズズッと音をたててこちらに抵抗してくるあの手応え。

悲しみを経験したことがなくても、「ドア・ストップ」の手応えに覚えがあれば、その悲しみがどれだけ胸をふさぎ、次の扉を開こうとする気持ちを妨げてきたか、イメージがしやすい。

このくだりを読み直し、母親の死を語ってくれた方のことをふと思い出した。もう何年も会ってないし、この先会うこともないだろう。その人が今、悲しみが効力をなくすような幸福に出会えていたら良いなと思う。

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帰り道、真っ暗な裏道を歩いていると、どこからともなく懐かしい匂いが漂ってくる。ホッケの塩焼きだ。間違いない。

2022/6/16(木)