読書日記【026】洋燈の力の届かない

プールサイドに一匹の蜻蛉がやってくる。はるかさきの崖に、とんびの滑空する影が落ちる。崖の上にはがらんどうの邸宅が並ぶ。

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その時彼は縁側へ立ったまま、「どうも日が短かくなったなあ」と云った。
 
 やがて日が暮れた。 昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口からしんとしていた。夫婦は例の通り洋燈ランプの下に寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われた。そうしてこの明るい灯影ひかげに、宗助は御米だけを、御米は又宗助だけを意識して、洋燈の力の届かない暗い社会は忘れていた。彼等は毎晩こう暮らして行くうちに、自分達の生命を見出していたのである。

夏目漱石『門』より

夜が訪れると縁側に座り、とりとめのないおしゃべりを始める夫婦。二人の仲睦ましい習慣は微笑ましくもあるが、世捨て人のような諦めの気配も滲む。洋燈ランプが照らす縁側の二人より、彼らを包みこむ”洋燈ランプの力の届かない”夜の闇がいちだんと印象に残る。

寄る辺ない者同士が肩を寄せ合って生きていく姿を見ると、胸がしめつけられる。相手を失ったら、生きていけないのでは?と勝手に心配になるからだ。それは夫婦関係に限らない。

宗助は御米なしではおそらく生きていけないだろう。御米、途中で死んだりしないよね、とある意味ハラハラしながら『門』を読んでいる。

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夕方近所を散歩していると、民家の塀の上からバレーボールが飛んできた。

2022/07/09(土)