読書日記【028】翻訳して届けてくる

喉が渇き、夜更け、自動販売機を探し歩く。大通りの灯りが次々と消え、24時間営業のコインランドリーの明るさだけが街に残る。店内で漫画雑誌を読み耽る男が一人。

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わたしたちの聞く雨は滴り落ちる水の静寂ではなく、雨が出くわすさまざまな物体が翻訳して届けてくる多様多種な音だ。言語というものの例にもれず、しかも吐き出したいことが山ほどあって、待ちかまえている通訳も大勢いる言葉ならでは、空の言語構造はあふれんばかりに豊かな形で表される。土砂降りはトタン屋根を、悲鳴を上げて震える板に変える。何百というコウモリの翼に食い込んだ雨粒は、うち砕かれて、飛び散り、川面すれすれに飛ぶコウモリをすり抜けて川に落ちていく。重たく霞んだ雲が、木々の樹冠にのしかかり、一粒も滴ることなく葉を湿らせて、インクをたっぷりと含んだ筆が紙にふれたような音をたてる。

D.G.ハスケル(著)/屋代 通子 (訳)『木々は歌う』築地書館より

ちょうどいま夕立ちが降っている。

これだけ雨の多い国で暮らしてきて、雨音を、「雨」が物体を打つ音としてではなく、雨に打たれた「物体」が届ける音だと、そんな風に考えたことは一度もなかった。主役を「雨」から「物体」に、その主客転倒の発想に目が開かれる思いがする。

その音を「翻訳」とするのもよい。私たちが言葉で会話するように、世界中のあらゆる物が響き合っていることを思い出させる。

この発想を音以外にも応用したい。例えば太陽に光輝く色とりどりの花々は、太陽の光が花々を照らす結果であると同時に、花々が翻訳して届けてくれる多種多様な光でもある、と。

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とうもろこしを茹でて食べる。美味しいのだが、鍋で茹でると部屋が蒸し暑くなる。一本のとうもろこしを半分に折り、片方は明日に回そうとしたが、結局もう片方もすぐに食べた。

2022/07/11(月)