読書日記【029】整理し目を通す

しとしと雨が降る。シルクのようになめらかな海を、ビルの屋上から老人たちが無言で見つめている。

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ロイトハマーの遺稿を整理し、目を通すこと、整理することと目を通すこと、この二つのことばかりを私は考えていた。誰にともなく私は整理し目を通すとくり返し唱えていた。何度も整理し目を通す、と。しかし加筆修正だけはしない。一行だって改変しないしちょっとでも遺稿を改変したりはしない。遺稿を整理し、目を通す。私は何度も整理し目を通す、と口に出した。 思いも寄らないことだったが、整理し、目を通すと何度も口に出していると気持ちが落ちついてくるのだった。整理し、目を通すとロに出していると落ち着く、と私は思った。だからくり返し整理し、日を通すと口に出した。少しも改変することなく、と付け足しながら。

トーマス・ベルンハルト(著)/飯島雄太郎(訳)『推敲』より

昔、パズルが趣味の同僚がいた。

毎晩帰宅すると、1000から2000ピースほどのパズルを組み立てる。完成したパズルは、全てバラバラにして、また一からやり直すそうだ。そうすれば一つのパズルで何度も遊べるじゃないですか、と彼は言う。

せっかく完成したパズルをまたバラすなんて、賽の河原みたいじゃないですか、虚しくなりません?と聞くと、完成が目的じゃないから、と彼は答えた。

彼にとって、パズルは「脳の空回転」らしい。つまり、脳の回転を完全に止めるより、軽く回転させ続けた方が、日中酷使した脳の疲れがとれるように感じると。彼の脳にとって、パズルのピースを探し、はめる、その作業の繰り返しがもたらす知的負荷が、「空回転」にちょうどよい軽さなんだとか。

他の同僚たちは彼の理屈に笑っていたが、私には思い当たることがあった。

私も、たまった領収書を整理しているとき、整理し、目を通すという単純な(とはいえまったく頭を使わないわけでもない)作業の反復によって気持ちがリフレッシュすることがある。

目の前の作業に集中している間は、他のより複雑な悩みやら不安やらに頭を使わなくて済むからだろう。しかし他のことを忘れるくらいには集中力が必要な作業である必要はあるから、知的負荷の軽すぎる単純作業は適さない。その点で儀式的なルーティンも少し違う。

仕事において、単純な反復作業は、効率化のために自動化したり外部化した方がよいだろう。しかしこと私生活においては、ほどよい負荷を反復する時間を生活の中に組み入れておく(というより、外さずに残しておく)ことが、健やかに暮らす上で結構大切かもしれない。

 

彼が転職するとき、皆でお祝いにモン・サン・ミッシェルの風景写真を絵にした2000ピースのパズルをプレゼントした。早速、今晩から組み立ててみますよ、と言って彼は笑ってくれた。

2022/07/14(木)