読書日記【002】とてつもなく長い時間

雨ばかり降る。窓の外をぼんやり眺める。たちこめる霧の向こうから、二羽のマガモが歩いてくる。

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競馬場にいると時間が実際に削り取られていくのをひしひしと感じることができる。今日のこと、第二レースのために馬たちがゲートに向かっていた。スタートまでまだ三分間もあって、馬たちも騎手たちもゆっくりとゲートに接近していた。どういうわけかわたしには、その時間が思わず苦悶させられてしまうほど、とてつもなく長い時間のように思えた。

人は七十代にもなると、誰かに自分の時間をぞんざいに扱われてしまったりした場合、より辛い思いを味わわされる。もちろん、ぞんざいに扱われるような立場に自分を追い込んでいるのは、ほかでもない自分自身だということもよくわかっている。

ブコウスキー(著),中川五郎(訳)『死をポケットに入れて』河出書房新社,p.150

ふと思う。ことあるごとにやれ「時短」だ「効率化」だと騒ぎ回る人たちは、ただ時間が惜しいのではなく、誰かに自分の時間をぞんざいに扱われたくないだけなのでは?つまり、単なるライフハック的な話ではなく、自尊心の問題。

生活がいまより便利になったとしよう。余った時間で何をしようか。退屈はときに人を狂わせる。おすすめの暇つぶしは畑仕事や庭いじり。動物の世話などもよい。あるいは、こうして日記を書くのもそう。

動物や植物の世話は色々と大変で、時間はあっという間に過ぎてしまう。だがその間、自分の時間がぞんざいに扱われたとは思わない。動物や植物に飼われているのは自分の方ではないかと錯覚することもあるけど。

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家族の誕生日プレゼントにゴフスタインの絵本を贈った。絵本を収めるボックスが豪華。手触りもよい。このあと、お祝い用の食事にブイヤベースを作るつもり。

TONKACHI STORE webサイトより

2022/04/26