読書日記【003】愛の作法

庭の鉢植えが倒れる音で目が覚める。春の嵐。今日は曇り空。雲が流れるスピードが早くて嘘みたい。

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もちろん、音楽マニアにとっては、飽きていくのは消費というよりむしろひとつの愛の作法であって(いつまでも「この一曲」だけを大切にして、ずーっとしがみつかれるのは、音楽家の方も苦しいものだ。音楽は、愛が強いカスタマーであればあるほど、「この一曲」は胸に秘めたまま、次々新しい曲を漁りつづけ、やがてあきらめる)、悪いことではないのだが。

菊地成孔(著)『次のオリンピックが来てしまう前に』平凡社

本屋から取り寄せた本が今日届いた。『フォーチュン氏の楽園』という前世紀イギリスの作家の小説だ。発注がかなり昔だったので、この本をどこで知り、なぜ買おうとしたか、まったく思い出せない。

読み始めてみると、わずか2ページ目でこの小説は私のお気に入りとなった。何か見返りを得るために読ませる文章ではなく、読書そのものが歓びとなるような文章。「この一冊」だけがあれば満足だ、と血湧き肉躍る。

しかし最近の読書を振り返り、冷静さを取り戻す。他の本を読んでいた間も、「この一冊」だ!と思いながら読んでいたはずだ。

つまるところ、「この一冊」が本当にただの一冊で済んだ試しがない。「この一冊」に満足しながら(あるいは満足しきる前に)次の「この一冊」を探し求めてしまうのである。

この「愛の作法」は、音楽や読書以外でもしばしば当てはまるのではないか。この一口、この一杯、この一着、この一幕、この一局、この……つまり、私たちの心を奪う何かであれば、何にでも。

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今日は水曜日だと思いこんだまま一日を過ごしていたら、夕方、同僚との会話中にまだ火曜日であることに気がつく。明日からGWだと思っていたのに、まだ一日ある。愕然としている。

2022/04/27(水)