読書日記【008】危険な緊張

庭園を散歩する。紫色のツツジの花が咲きそろう。ベンチに腰掛けて振り向くと、すっきりとした青空。

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チェントヴィッチは相手を静かに落ち着いて見やったが、その石のように硬い眼差しには、何か固められた拳のようなものがあった。突如として二人のプレイヤーの間に新しいものが、危険な緊張、熱情的な憎悪が生じていた。もはや互いの能力を戯れに試し合おうとするパートナーではなく、互いに相手を亡き者にすることを誓った二人の敵同士であった。

シュテファン・ツヴァイク (著), 杉山有紀子 (翻訳)『過去への旅 チェス奇譚』幻影書房,p.146

ナチスの精神的拷問を乗り切るため、チェスに没頭するB博士。チェスに入れこむあまり「自分自身を相手にチェス」をやりはじめ、やがて現実と妄想の区別がつかなくなってしまう。孤独から彼を救ったチェスが、やがて彼を狂気に陥れる。

ツヴァイクの「チェス奇譚」(別訳では「チェスの話」)が心に特別な傷跡を残すのは、──負けてほしくない者同士が最後に対決する、映画『クライング・フィスト』のような胸が熱くなるストーリー展開の魅力もあるが──、チェスに没頭するB博士に、読書に耽る自分の姿が少し重なるからだ。

書物の世界に没頭する。それは現実逃避でもある。読書にかまけていて、現実から取り残されてしまわないか。「自分自身を相手にチェス」してるだけなんじゃないかと。そんな恐怖がずっとある。だから読書という行為を手放しで褒める気にはならない。

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近所の定食屋で昼ごはん。隣席の三人組の家族がかき揚げ丼を食べながら、口々に「おいしい!おいしい!」と声を出している。誰かがおいしそうに食事する姿は、見ているだけでほんわかする。

2022/05/05(水)