読書日記【012】心の中の声を止める

からっと晴れた青空。モノレールに乗る。軌道と並走する電線を窓から目で追う。線上で羽を休めるカラスが一匹、二匹、三匹。反対側の窓外は、無数の一軒家が地平を埋め尽くすひと昔前のニュータウン

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「自分から何か言いたい、でも、人の話も聞かなければならない、そんなことが同時にできる人はいません」、とヴォスは教えてくれた。「これは本当に、どちらかしかできないものなんですよ。耳を傾けさせることでしか、相手の心の中の声を止める方法はありません。交渉人の少なくとも三分の二は、交渉を進めることより、話を聞いてもらうことに注力しているのです」。彼は少し考えた。「そして、余談ですけれども、相手に優先権を譲り、先に話をさせると、相手は往々にして自分が状況を支配している、と勘違いするようになるのです」

ジャンシー・ダン (著), 村井 理子 (翻訳)『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』
太田出版,p.110

発声を伴わずに心のなかで用いる言葉のことを認知/発達心理学の用語で「内言」というらしい。発声を伴う言葉は「外言」。

私は文字を目にすると、心の中で読み上げてしまう。読書はもちろん、街中で目にする広告などの文字もである。「スシロー」の看板が目につけば「スシロー」とつぶやく。心の中で。これらも「内言」だろうか。

「内言」は思考の整理などに役立つようだが、内なる声ばかりにかまけていると、ツヴァイクの「チェスの話」の登場人物──脳内で一人二役を演じながらチェスの対局を続けた結果、重度の精神疾患を患う──のように、狂気に陥る危険もある。そもそも「内言」と「幻聴」の境界はどこにあるのか。

円滑なコミュニケーションのために傾聴力の重要性を説く人は多いが、他者の言葉に耳を傾けることの真価は、自分の心の声から(一時でも)耳を塞ぐことにあるのではないか。正気を保つために。

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細切れ睡眠の質を高める方法はないだろうか。分割睡眠が当たり前だった産業革命以前のヨーロッパの人々の暮らしが今一番知りたい。

2022/05/18(水)