読書日記【013】我慢強さ

日が落ちた後は、ベランダの窓をそっと開く。木々のざわめき、国道を走るバイクの音、年老いた犬の遠吠え。腕の中の赤ん坊は天井を見つめている。

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逆境でも努力を重ね、貧窮に耐え、社会でのし上がるために懸命に働いたあげく、自分の価値を過大に評価するようになったため、世間が彼を正当に遇することは非常に難しかった──何が正当かという基準は人それぞれの我慢強さに大きく左右されるのだから。

コンラッド『シークレット・エージェント』光文社,p.129

何が正当か、などと考えるのは、何かが「不当」であると──物事の正当性が損なわれていると──感じた時ではないだろうか。不自由を知らない者が自由について考えをめぐらし、不平等を経験したことがない者が平等を意識するだろうか。それらと似ている。

生きていく上で、多少の不愉快は当たり前だと考えるような人は、いちいちそれが「正当」か「不当」か意識しないだろう。その方が我慢強くいられるだろうが、そういう人たちは人生に対する期待値が低いのかもしれない。

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我慢の語源は仏教用語の「我慢」で、「自分が人より偉いと奢り、相手を見下すこと」を指す(枡野俊明『仏教の智慧が学べる日々のことば』より)。七つの煩悩の一つだ。

我に執着する意味が転じて、我を抑えることを意味するようになった。どのような経緯で意味が反転したかはわからない。勝手な想像だが、我を抑えるにも我の強さが必要、ということに人々が気づきはじめたのではなかろうか。物体を引っ張るにも押し出すのと同じように力が要ることが。

ちなみに英語のpatientの語源はラテン語の「耐え苦しんでいるもの」。

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窓から蚊が飛び込んできた。そろそろ蚊帳の出番。

2022/05/25(水)