読書日記【013】我慢強さ
日が落ちた後は、ベランダの窓をそっと開く。木々のざわめき、国道を走るバイクの音、年老いた犬の遠吠え。腕の中の赤ん坊は天井を見つめている。
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何が正当か、などと考えるのは、何かが「不当」であると──物事の正当性が損なわれていると──感じた時ではないだろうか。不自由を知らない者が自由について考えをめぐらし、不平等を経験したことがない者が平等を意識するだろうか。それらと似ている。
生きていく上で、多少の不愉快は当たり前だと考えるような人は、いちいちそれが「正当」か「不当」か意識しないだろう。その方が我慢強くいられるだろうが、そういう人たちは人生に対する期待値が低いのかもしれない。
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我慢の語源は仏教用語の「我慢」で、「自分が人より偉いと奢り、相手を見下すこと」を指す(枡野俊明『仏教の智慧が学べる日々のことば』より)。七つの煩悩の一つだ。
我に執着する意味が転じて、我を抑えることを意味するようになった。どのような経緯で意味が反転したかはわからない。勝手な想像だが、我を抑えるにも我の強さが必要、ということに人々が気づきはじめたのではなかろうか。物体を引っ張るにも押し出すのと同じように力が要ることが。
ちなみに英語のpatientの語源はラテン語の「耐え苦しんでいるもの」。
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窓から蚊が飛び込んできた。そろそろ蚊帳の出番。
2022/05/25(水)