読書日記【023】両手の物語

日が暮れたあとの街をみんながぶらついている。縁側で西瓜を食べる子どもたちもいて、絵に描いたような夕涼みの場面。

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  ウィング・ビドルボームは両手でたくさんのことをしゃべった。その細くて表情豊かな指、常に活動的でありながら常にポケットのなかか背中に隠れようとする指が、前に出て来て、彼の表現の機械を動かすピストン棒となる。

 ウィング・ビドルボームの物語はこの両手の物語である。その落ち着きのない動きは、籠に入れられた鳥が羽をばたつかせるのに似ていて、そのためウィングという名前がつけられた。町の無名の詩人が考えついたのだ。本人はというと、自分の手に怯えていた。いつも手を隠すようにし、ほかの人々の手を見ては、自分の手との違いに驚いていた。畑で一緒に働く者たちや、田舎道でだらけた馬たちを御する者たちの手はおとなしく、表情がなかったのである。

 ジョージ・ウィラードと話すとき、ウィング・ビドルボームは拳を握り、自宅の壁やテーブルを叩いた。そういうことをすると、ずっと気が楽になった。野原を一緒に歩いていて、話したいという欲求に駆られると、彼は切り株か柵の一番上の横木を見つけ、両手で忙しなく叩きながら話した。 そうすると、また新鮮な気持ちになり、心が落ち着くのだ。

アンダーソン (著),上岡 伸雄(訳)「手」『ワインズバーグ、オハイオ』新潮社より

赤ん坊がワーッと泣き叫ぶあのエネルギー。私にもあったはずだ。どこで失くしてしまったかな。赤ん坊をあやしながら思う。

言いたいことはたくさんあるのに、うまく伝えられない。もどかしくて泣き叫ぶ者あれば、両手を忙しなく動かす者もいる。そんな誰かの姿がいつも私の琴線に触れる。同じように口惜しい思いばかりしていた過去の自分の姿が重なるからだろう。

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除湿機をヒトに薦められたが、場所もとるし、それに見合う効果が果たしてあのるか。検討する前に現在の部屋の湿度を知ろうと思ったが、湿度計をいくら探しても見つからない。

2022/06/27(月)

読書日記【022】勝利の栄冠

二人の男女が裸足で浅瀬に立っている。手を繋いで、海の向こうを見つめている。夕暮れの海風が吹き抜けて、二人の白い髪がなびく。囁きあう声はこちらには届かない。

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 もはや征服すべき国がなくなったアレクサンダー大王が号泣したことは誰でも知っている──あるいは(今までかなり頻繁に引き合いに出されてきたので)知っていて当然、と言うべきだろうか。彼女なりに世界征服を果たしたレディー・デッドロックは、そのような湿っぽい気分ではなく、氷のように冷たい気分になった。
 疲れ果てた沈着、くたびれた平穏、興味も満足も覚えない、消耗しきった静謐──それが彼女の勝利の栄冠だ。
 彼女はまことにもって上品な人間であり、仮に明日天国に召されたとしても、何ら動じることなく天に昇るにちがいない。

ディケンズ著/佐々木徹訳『荒涼館1』岩波書店より

アレクサンダー大王のように世界征服を成し遂げたことも、レディー・デッドロックのようにパリの社交界の頂点を極めたこともない。勝利の栄冠を手にした人間が目標を見失って虚無感を覚えることは想像できる。

目標を立てること。目標を達成するために努力すること。この二つの重要性は、幼少期から学校教育などの場で散々強調されてきたように思う。しかし、目標を作り続けること──ある目標を達成したら、次の目標を探しにいくこと──は?

生活にはりあいがでるような目標。達成した未来の自分に会いに行きたくなるような、そんな目標。そうしたものを探し続けることの難しさを年々感じる。

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昨日と全く同じ道で、昨日と同じようにスズメがモンシロチョウをついばんでいた、との報告を家族から受ける。

2022/06/22(水)

読書日記【021】罠に身体を預けたまま

通りに男がたたずんでいる。旅館の庭先をただ凝視している。くもり空の下でいびつなほど鮮やかなレモンイエローのジャージ。すれ違いざま彼の見つめる先を一瞥すると、庭木に生るコケモモの実だった。

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マスターが見抜いた少年の最もすぐれた能力は、彼が一つの間違いから実に多くを学ぶことだった。チェスを覚えはじめの子が陥りがちな罠に、少年もことどとく引っ掛かったが、普通の子が一刻も早くそこから脱出しようとしてもがくのとは違い、彼は罠に身体を預けたまま、その位置や形状や手触りをじっくり味わうのだった。そして二度と同じ穴には落ちなかった。

小川洋子『猫を抱いて象と泳ぐ』より

この「罠に身体を預けたまま、その位置や形状や手触りをじっくり味わうのだった」という言い回しに痺れる。

「罠に掛かる」という常套句で終わらせず、罠に掛かったあとの行動まで想像をふくらませ、その描写によって少年の性質をより深く伝える。作家のもう一歩踏み込んだ想像力によって、ありふれた言い回しが印象深い表現に生まれ変わる。

このような、常套句の世界観を踏襲しながら比喩を積み重ねてゆく技術にとても惹かれる。次の事例もそうかと。

昔は馬車馬のように働いたものです。しかし今ではお仕着せの馬具が昔とは違ったものになってしまった。それがわたしの傷つきやすい部分に当たってひりひり痛むのです。

コンラッド『シークレット・エージェント』より

「馬車馬のように働く」という常套句を発展させ、昔流儀で働けなくなった時代の変化やそれを嘆く心情まで言い表している。

もっと他にないかな……

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目の前でスズメとモンシロチョウが宙を翔びながら追いかけっこしてる……と思ったら、スズメが突然、くちばしでモンシロチョウをついばんだ。

2022/06/21(火)

読書日記【020】ドア・ストップのように

暮合いの海辺で、小さな双子がぴょんぴょん飛び跳ねているのを見る。波が押し寄せてくるたびに飛び上がり、キャッキャと歓声を上げる。それを飽きずにくり返している。日が落ちるまで。

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幸福は時を引き伸ばす。毎日が一遍の長編小説のように長く感じられた。毎晩が二本立ての映画だった。毎週が一生に等しかった。静かな一生。いつも彼女の胸の下にドア・ストップのように無理矢理押し込められている悲しみが、その効力をなくすような一生。

イーディス・パールマン「石」(『蜜のように甘く』収録、亜紀書房)より

「これまでの人生で、母親を早くに亡くした以上に悲しいことはなかったよ」と教えてくれた方がいた。当時の私は誰かを亡くした経験もないし、それに匹敵するような悲しい経験の覚えもなかったので、その話は他人事のように聞き流した。

「ドア・ストップのように」という表現が素敵だなと思う。ドア・ストップを取り付けたドアを(そうとは知らずに)押したときの、ズズッと音をたててこちらに抵抗してくるあの手応え。

悲しみを経験したことがなくても、「ドア・ストップ」の手応えに覚えがあれば、その悲しみがどれだけ胸をふさぎ、次の扉を開こうとする気持ちを妨げてきたか、イメージがしやすい。

このくだりを読み直し、母親の死を語ってくれた方のことをふと思い出した。もう何年も会ってないし、この先会うこともないだろう。その人が今、悲しみが効力をなくすような幸福に出会えていたら良いなと思う。

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帰り道、真っ暗な裏道を歩いていると、どこからともなく懐かしい匂いが漂ってくる。ホッケの塩焼きだ。間違いない。

2022/6/16(木)

本の紹介:読書日記から5冊【011-015】

過去の読書日記に引用した本について、5冊分まとめて紹介。

【011】ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』

 

笑いと忘却の書 (集英社文庫)

戦後のチェコの政治的混乱を背景に、集団から弾かれる人間の姿が描かれる。

男女のあけすけな性愛描写が数多く登場するが、チェコの近代史の暗喩として機能している。それは度重なる為政者の交代、その都度不都合な記録を抹消し、過去を書き直してきた「忘却の歴史」のアナロジーである。

特に未亡人タミナの物語。亡夫との思い出が詰まった手帳の奪還に焦り、行きずりの男に体を許した結果、亡夫との最愛の記憶を失う。祖国に過去を奪わた亡命者の心境を象徴しているようで、二重に哀しい余韻を残す。類比の巧みさが随所に光る作品である。

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【012】ジャンシー・ダン 『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』

 

子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法

育児をきっかけに悪化する夫婦関係を改善しようと奮闘する夫婦のドキュメンタリー。

カップルカウンセラー、元FBIの人質交渉人、時間管理コンサルタントなど、各分野の専門家の知見を取り入れながら、感情をコントロールする術を学び、相手に敬意を示しながら生活を見直してゆく二人。紹介されるノウハウ以上に、こうした地道な努力を重ねる過程が本書の読みどころである。

同じことは夫婦に限らず、あらゆる人間関係に通じるはず。相手を愛しているのに憎んでしまう経験のある方、その矛盾に現在進行形で苦しんでいる方にも届けたい一冊。

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【013】コンラッド『シークレット・エージェント』

 

シークレット・エージェント (光文社古典新訳文庫)

19世紀ロンドンの爆破テロに着想を得た群像劇。

大使館のスパイ、その家族、アナキスト仲間、警察、政治家など、登場人物毎に視点が切り替わり、それぞれの心理を克明に語りながら、爆破事件の真相に迫る。真相を知るほど、登場人物たちの消極的な(”怠惰な”)行為の積み重ねが犯行を誘発していたことが分かり、特定の誰かに責任を問うことの虚しさがいくぶん戯画的に描かれている。

表裏のある人物ばかり登場する中、最も表裏がなかった人物が最後に最も変貌する展開は皮肉が効いており、謎解きに意外性のあるミステリとしても楽しめる。

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【014】コーマック・マッカーシー 『越境』

 

越境 (ハヤカワepi文庫)

手負いの狼を故郷に帰してやろうと、少年は国境を越える。

愛馬とともに駆ける美しい荒野の場面が続くが、序盤の終わり、少年にある決定的な事件が起きる。以降は展開がまったく読めなくなり、最後まで気の抜けない読書となる。

特に少年が旅先で誰かと出会う場面は、毎回緊張が走る。初対面の相手に悪意があるのか、少年同様、読者にも分からないからだ。油断ならない。しかし油断ならないのは、私たちの現実の世界も同じではないか?

境界の内側で安穏と過ごし、用心深さを失いつつあった自分には、目の醒めるような寓話だった。

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【015】ジル・クレマン 『動いている庭』

 

動いている庭

”できるだけあわせて、なるべく逆らわない”──造園家の著者は、植物のふるまいを伝統的な型にはめて管理せず、あるがままの姿に極力委ねるアプローチで、美の移ろいと多様性の驚きに満ちた庭を造ろうとする。

それは雑草の繁茂や外来種の侵入に晒される”荒れ地”をモデルにした造園術であり、絶えず変化する環境にどう呼応するか、柔軟な判断が常に必要とされる。

その試行錯誤から紡ぎ出された著者の言葉には、変化への適応が要求される他のビジネス、さらには人の生き方に通じる普遍性が宿っており、より汎用的な思想書としても読める。

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読者日記【019】古典作品の魅力

夜中、窓を開けて外の空気を吸う。雨、しっとりとした夜気。金魚鉢からあぶくのはじける音がする。

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作品の選定基準のひとつは、作者が文学の決定的な力、ほとんど魔術的な力を信じていることだと述べ、十九歳のナボコフを、ロシア革命のさなか、弾丸の音にも気を散らされることなく書きつづけたナボコフを思い出すように言った。銃声が響き、窓から流血の戦闘が見えても、彼は独り詩を書きつづけた。

ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』白水社より

古典作品の魅力の一つに、古今東西の「ファン」による考察や二次創作の豊かな蓄積がある。手を伸せば、自分一人では想像も及ばなかった視点の作品解釈や感想などが楽しめる。一粒で何度も美味しいのが、あらゆるジャンルで”古典”や”クラシック”と呼ばれる作品の良さではないだろうか。

流行の面白いドラマや映画を視聴したあと、ファンによる考察ブログや感想・レビュー記事をWEBで読み漁るのは楽しい。同じ感覚で古典作品に関する研究論文や影響を受けたとされる後続作品(*)に目を通す。

(*)例えばツルゲーネフの『猟人日記』に影響を受けた国木田独歩の『武蔵野』は、『猟人日記』の”二次創作”としても読める。独歩がロシアの白樺の森と武蔵野の楢の林の情景を比較したように、原典と二次創作の共通点/相違点の整理が、原典の魅力の再発見につながることもしばしば。

生まれた時代/地域にへだたりのある作品ほど難解に感じることも多いが、それらはつまり考察しがいのある作品ということでもある。考察しがいのある作品ほど、他の「ファン」たちの考察がますます興味深いものになる。

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イスラーム革命後のイランで、ヴェール着用を強要された学生たちが、なぜ倒錯的な中年男が少女を陵辱する物語に熱中したのか。

 

本を通じて、実際に会って話すことの難しい「ファン」たちの興味深い感想を知ることができる。それも、ナボコフの作品が20世紀英米文学/ロシア文学の古典として認知されていなければ叶わなかったかもしれない。

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地元の神社でホタルの放流があったらしい。見に行きたかった。

2022/06/11(土)

読書日記【018】人の温もりを浴びる術

昼に家族と散歩する。雲と雲の間の底に青空が見える。電線の上に一羽の鳥が止まる。あれは山鳩ではないかと噂する私たちの頭の上で、鳥がトゥートゥーットゥトゥーとやりはじめる。

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成人後の生活でキエルケゴールが客を招くことはほとんどなく、実に生涯を通じて友人といえる者はほぼ存在しなかった。しかし知人は多い。姪のひとりによれば、コペンハーゲンの街は彼の「応接間」であり、そこを歩き回ることはキエルケゴールの日々の大きな楽しみだったという。それは人と暮らすことのできない男が人々と交わる術であり、つかの間の出会いや、知人と交わす挨拶や、漏れ聞こえる会話から幽かに伝わる人の温もりを浴びる術だった。

レベッカ・ソルニット(著)『ウォークス 歩くことの精神史』

1対1の人間関係のありかたに唯一の正解がなければ、1対多の場合も同様のはずだ。誰が相手でも深い人間付き合いができないヒトはいるだろう。しかし付き合いが浅ければ悪く、深ければ良いのか本当に?

見知らぬ他人からのちょっとした挨拶や気配り(道や席を譲ってもらうなど)に人の温もりを感じたことは誰しもあるだろう。深い間柄に固執する必要なんてない。キエルケゴールのように、そのヒトにより適したやり方で人々と交わる術がきっとあるはずだ。

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「スパァン!」と音がしたので驚いて振り向くと、空き地でグローブを手にした大柄な二人の男がキャッチボールをしていた。その空き地には昔、豪奢で陰気な2階建ての洋館があった。

2022/06/08(水)